どうもロロノア(@roronoajp)です。
僕はプリンがめっちゃ好き。
仮に「プリンが好きランキング」を開催したら多分日本では上位に入ることは間違いないと自負している。
3食プリンだとしても別に文句は言わない。
ちなみにプリンは固め派。アンチゆるふわプリン。
で、この前の3連休に妻が、東京ディズニーランドに行った帰りにマンゴープリンを買って帰ってきたんだ。
ファミレスでもどこでもいい。仮に食事にいったとしよう。
プリンとマンゴープリンがメニューにあった時、皆ならどっちを選ぶ?
僕は100:0の割合でプリンを選ぶ。
そう。僕はマンゴープリンを好きではないし、今後好きになるつもりはない。
そして未来永劫、許すつもりもない。
そんな僕だからこそ、
「マンゴープリンとか邪道!ふざけるな!普通で固めのプリン買いなおしてこい!今すぐだ!奈良の大仏プリンだ!」
と、叫んだ。
心の中で。
その後、やさしく笑みを浮かべ、
「ありがとう、いただくとするよ。」
そう妻に言ったんだ。
その数分後、僕のちっぽけで薄暗い人生に一筋の光が差し込んだ。
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RORONOA
っていう話を今日はしようと思う。
【千疋屋総本店】伝説のマンゴープリンとの出逢い
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た、たいそうな箱に入ってやがる。
「マンゴープリン如きが貴族気取りか!ふざけるな!」
開封時、フタに中皿がくっついて持ち上がってしまうことがございます。
ソースがこぼれないようにご注意ください。
貴族気取りのマンゴープリンからの引用
貴族気取りのマンゴープリン如きが、人間様の僕に注意喚起をしている。
僕はおそるおそる全体像を確認したんだ。
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/IMG_0877.jpg)
な、なんだと。二層にわかれやがっている。
純白のホワイトとマンゴーイエローの二色のライトで僕を優しく迎え入れようとしている。
思った以上にただならぬオーラを放つマンゴープリンに誘(いざな)われるかのようにもう少し下のアングルからマンゴープリンを捉えることにした。
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/IMG_0879.jpg)
こ、これがマンゴープリン。
美しく二層に別れるその様は、純白で華麗なホワイトタイガーと猛々しく勇猛なベンガルトラを見ているようだった。
二頭は決して相まみえることの許されない織姫と彦星だ。
あまりの美しさと悲しき二頭の物語に思わず後ずさりをする僕がいた。
開いた口も塞がらない。
待っていてくれ。今助けに行くぞ。
一心不乱に蓋を取り外した。
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/IMG_0880.jpg)
開封時、フタに中皿がくっついて持ち上がってしまうことがございます。
ソースがこぼれないようにご注意ください。
貴族気取りのマンゴープリンからの引用
先ほど注意されていたことをすっかり忘れていたが、フタは中皿がくっついて持ち上がることはなかった。
そんなことを考える時間はない。
事態は一刻を争う状態。
一触即発だ。
もう大丈夫。何故って?
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そう、僕はオールマイト。
君たちを救うヒーローだ。
「うおおおおおおおおおぅぅぃうぅ!!!!」
【千疋屋総本店】伝説のマンゴープリンとの別れ
美しき二頭の虎は年に一度の再開を心から喜んでいる様子だった。
いつまでも幸せそうな二頭を見守ってあげたい。
でもそんな幸せな時間は長くは続かない。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
平家物語
「I have to eat you.(僕は君たちを食べなければならない。許せ)」
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![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/IMG_0883-1.jpg)
木綿豆腐まではいかないが、絹ごし豆腐よりも固めのしっかりとした食感。
驚くほど濃厚であり、なめらかな舌触り、旨みがギュッと凝縮されている。
最高級の完熟マンゴーそのものをいただいているような気分を味わえる。
プリンの中にも完熟マンゴーが入っておりまるで自分が貴族になったのかと錯覚した。
サラリとした純白の生クリームソースは甘すぎず絶妙な加減であり、マンゴープリンとの相性も抜群。
ありがとうタイガー。
すまない妻よ。
僕が間違っていた。
【千疋屋総本店】伝説のマンゴープリンを忘れられない
あまりの美味しさに舌が彼らを欲している。
妻にもう他に買っていないのか聞くも、
「一個しか買ってないで。」
妻の妹は一人で三つ買って帰ったらしい。
何故だ妻よ。
何故一つなんだ。
憎しみに似た感情が腹の底からこみ上げてきたのを感じた。
落ち着けろろのあ。
お前はもう若くない。
30代だ。
マンゴープリンを一つしか買ってこなかったことくらいで憎しんでどうする。
確かにそうだ。僕は大人だ。
僕はおもむろにiPhone XSを手に取った。
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/千疋屋-マンゴープリン-Google-検索.png)
大人のチカラみせてやる。
「うぉおおおおおおおおおおおおおお」
【千疋屋総本店】伝説のマンゴープリンとの別れ再び
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ろろのあは激怒した。
〜走れろろのあ〜太宰治
な、なんだと。
ろろのあは大阪在住。
思わぬ壁がろろのあに立ちはだかった。
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僕がつい先ほど口にしたマンゴープリンは限定品であり、売っているのは
HANAGATAYA東京店、羽田空港店の2店舗。
Online Shopでも買えない。
これほどまでに運命を憎んだことがあっただろうか。いや、ない。
コロナが蔓延する前は月に一度絶賛社畜中の会社の会議があったからなんとかなった。
でも今はだめだ。会議もNETだ。東京に行くことがない。
つまり、じ・えんどだ。
これほどまでにコロナを恨んだことがあっただろうか。いや、ない。
【千疋屋総本店】伝説のマンゴープリンとの出逢い(妹)
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/CpwIcm_UkAA0BPL.jpg)
僕は諦めなかったんだ。シンジみたいな弱い漢にはなりたくなかった。
あの日から【伝説のマンゴープリン】を食べることだけを考え、何よりも優先して生きてきた。
来る日も来る日も考えたんだ。
調査を進める中で、とある筋からの情報で【伝説のマンゴープリン】には妹がいるとのタレコミを聞きつけた。
妹というところには疑問と少しの罪悪感を感じたのは事実だ。
でも今更引き返せない。
止まれないんだよ。一度動き出したこの歯車はな。
【千疋屋総本店】千疋屋の歴史について
妹の存在を語るには千疋屋の歴史について語る必要があるんだ。
1834年
千疋屋総本店の誕生
千疋屋は1834年、江戸時代後期創業の歴史が深い
千疋屋が誕生した江戸時代後期は、天候不順による飢餓や物価の高騰などが起きる不安定で厳しい世情にありました。また武蔵の国埼玉郡千疋村(現在の埼玉県越谷市)で大島流の槍術の道場を開いていた千疋屋の創業者 大島弁蔵も例外ではありません。生計を立てるために千疋村界隈で採れる農作物で商売が出来ないか思案に明け暮れました。幸いにも当時の越谷は江戸への搬水路が確立されており、夜に出発すれば、早朝には江戸に到着する好条件に位置していました。弁蔵は千疋村での農作物が江戸の人々に喜んでもらえるに違いないと確信し、船に桃、西瓜、まくわ瓜などの果物や野菜を積み込み、江戸で一番とも言われた盛り場の葺屋町(現在の日本橋人形町3丁目)まで船便で運ぶようになりました。
行き着いた先の葺屋町親父橋は全国から江戸に送られてくる物資の荷揚げ場で、近くにあった芝居小屋の市村座や中村座の賑わいぶりは川柳に詠われたほど。弁蔵はこの親父橋のたもとに露店を構え、「水くわし安うり処」の看板を掲げました。※「水くわし」とは水菓子、甘い果物の事。
この看板は復元され、現在の日本橋本店で目にする事が出来ます。弁蔵は出身地の名を取り、ここに今日の千疋屋が産声を上げます。1834年(天保5年)の事です。
千疋屋の歴史
1881年
中橋(京橋)千疋屋の誕生
1881年千疋屋は暖簾分けをし、京橋千疋屋が誕生。
千疋屋総本店三代目・代次郎の妹キヨは、二代目の当主 文蔵の時代に番頭としてふるった谷治郎吉に嫁ぎました。治郎吉は商才に長けており、文蔵から厚い信頼を勝ち得ていました。ある日「分家させてほしい」と切り出したキヨに文蔵は、夫の治郎吉のそれまでの千疋屋への貢献と人柄を見込んで暖簾分けを許し、1881年(明治14年)中橋広小路店(京橋千疋屋)が誕生しました。1914年(大正3年)には東京の玄関となる東京駅が開業し、通りには人々が絶えることなく往来。中橋広小路店は大いに繁盛しました。
千疋屋の歴史
1894年
新橋(銀座)千疋屋の誕生
1894年千疋屋はさらに暖簾分けをし、銀座千疋屋が誕生。
千疋屋総本店の番頭であった齋藤義政は1894年(明治27年)、新橋(銀座)千疋屋を出店。
千疋屋の歴史
齋藤義政は福井県で生まれで、年頃になると働き口を求めて上京しました。三代目の当主 代次郎とひょんなことから知り合い、また話すうちに、少年の聡明で実直な人柄の良さが伝わり、千疋屋で雇われることになりました。生真面目で良く働き、頭の回転も良く、千疋屋にとって大きな戦力となっていた義政はその後、番頭として起用され、27歳の若さで暖簾分けを許されます。
2008年
千疋屋グループ 3社
千疋屋グループとして永続的な協調関係を築いているらしい。
千疋屋より独立した「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」ですが、この3家は親戚関係によりその和を保ち、それぞれが独立した経営を貫いています。経済環境や市況が目まぐるしく変わる中、高級果物専門店としての誇りを保ちながら成長していくには、3家の並立・提携関係は今後も重要になっていきます。現在では、~100年後も千疋屋であり続けるために~ を共通のテーマとして掲げ経営を行っています。 千疋屋では総本店を含めた3社で定期的に交流会を開いています。また商品ジャンルごとのバイヤーや担当者が、情報交換を行う機会を設けています。これらの交流会や3社での情報交換は、千疋屋3社がこれから先も永続的な協調関係を築き、果物専門店として果物を通じた食文化の発展及び社会貢献に努める事を目的として行われています。
千疋屋の歴史
というわけや。
つまり、千疋屋は、千疋屋総本店、京橋千疋屋、銀座千疋屋の3姉妹。
今回僕が食べたのは、千疋屋総本店のマンゴープリン。
千疋屋総本店のマンゴープリンは東京でしか買えん。
京橋千疋屋にはマンゴープリン自体扱っていなかったんだ。
そして最後に当たったのが銀座千疋屋っていうわけだ。
プレーン/いちごプリン/マンゴープリン/ベリーチーズ(各95g)×各2というのがセット内容。
ほんまはマンゴープリン8個っていうのが理想っちゃ理想なんやけどな。
まぁそこは仕方ない。
妹っていうところも引っかかりはするが、もう関係ない。
銀座千疋屋なら取り寄せ可能ということやから僕は君のためなら手段は選ばない。
僕は悪魔とだって契約するさ。
![](https://roronoa.jp/wp-content/uploads/2020/11/images.jpeg)
これが大人のチカラ。
最後に
千疋屋総本店のマンゴープリンは僕のマンゴープリンに対する嫌悪感を取り払ってくれた。
ありがとう千疋屋。
後日聞いた話だが、妻と娘はマンゴープリンを二つづつ食べたとカミングアウトしてきた。
僕は一つ。
そんなことがあっていいのだろうか。いや、ない。
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